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桐たんす、組子ベッド(桐)、DNA、新製品情報、日頃の雑事等、物作りの現場から
 (株)総桐箪笥和光   会長   加島清治
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数字がきれい??

古い話をもう一個

昔は、工場と事務所が別々だったので、私の最初の方の仕事は事務所。簿記なんか未開の統治で、まずは納品書からの帳面写し。当時いた事務員から数字がきれいと何度も誉められたのですが、おべんちゃらだったのか、本心かは、不明のまま。
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字は汚いが、数字だけきれいと言われたようにも思う。
たぶん、そうだとおもう(^^;)

ハンコ打ち

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学生の頃、うちのバイトでやらされていたのが、領収書、納品書、請求書へのハンコ打ち。これがけっこう単調で、仕事というものは、こんなに辛いもんかと知った仕事。でも、この一押しがお客様り目に触れることとなり、擦れがなく、まるで印刷したかのように(^^;)押すのは、けっこう神経使ってやっていたことを覚えてます

こづむ(積む)

3a5fae9e DSC_0082仕事の基本は、まずキッチリと積む。こちらの方言では”こづむ”といいますが、キッチリ積んであると、美しくもあるが、仕事の効率も上がるし、安全でもある。私が職場に入りたての頃は、先輩社員から、口やかましく言われてました(^^;)

社名の由来

ginza-9.jpg「総桐箪笥和光」という社名の由来です。

" 和光" と文字を国語事典で引いたら、わこう(‥クヮウ)
1)徳の光をやわらげつつむこと。
知恵を外に現し示さないこと。

2)仏語。仏菩薩が威徳の光をやわらげ、
仮の姿を衆生の間に現すこと。
和光垂迹。和光同塵。また、その仏菩薩。

3)おだやかな威光。なごやかな光。
とあります。

前会長が、東京に行った時に、銀座通りにある" 和光" に入って、たくさんの高級な品があり、それでもひっきりなしにたくさんのお客があった所をみて、こんな会社にしたいということで" 和光" にしたそうです。この名前をつける当時のことを、うっすらと覚えてますが、東京から帰ってきて、社名のことを話したおやじが、興奮気味に話したことが記憶に残ってます。

当初の社名は、当時木彫をやってましたので、和光と木彫をくっつけて「和光木彫工芸社」でスタート。その後、法人となり、木彫も陰を潜め、桐たんすを製造することになったので、(株)総桐箪笥和光となった次第です。

穏和で包み込むような穏やかな光を放ち、高級でありながらも、お客様が自社に来てくれるメーカーになることが目標なのです。

電気毛布一枚あれば、思っていたが・・・

古い話です。中学1年に頃、電気毛布なるものをバイトで貯めたお金で購入。これ一枚で、いままでの毛布も、重い掛け布団も入らない。と、信じ疑わなかった。ところが、数日もしないうちに、こりゃダメだに。サーモスタットは付いているものの、ONでは、じわ〜〜と暑いし、OFFになったらとたんに寒い。掛けるのは止めて、敷きにしたけど、やっぱりダメ。自分の体温が一番正直で、布団にくるまっただけの方が快適でした。

手前味噌ですが、掛布団、敷き布団に、ベストマッチは組子ベッドです。
畳に布団より、ずっとずっと快適です。詳しくは→ここ

 

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・組子ベッド(桐ベッド)のことは‥
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私が最初に持った携帯電話

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NTTのTZ-803Bです。1991年5月にこの携帯電話を持ちました。アンテナが本体真上から伸びるので、私は”オバケのQ太郎型”と呼んでました。

親父が平成元年、おふくろが平成3年(1991年)になくなり、私が外出した時の非常通信手段でした。ポケベルでは、ピーピーなってから公衆電話となり、それではショールームにこられたお客様とかの即対応ができないので必要に迫られてでした。

バッグには入らない大きさでしたが、どこにいっても連絡が取れるのは、留守番しているカミサンには、たいへん安心感を与えてました。

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30歳で青年?

私が20歳くらいにいだいていたxx青年部の感想です。
30歳?45歳?それ青年?おっちゃんの集まりじゃん。
青年といったら17歳からギリギリ20歳。

と、その歳はとっくに過ぎ、いまや57歳の初老(^^;)
30歳〜45歳をみると、やっぱ青年じゃんというのが分かる。
ちょっと羨ましい(^^;)

始めと終わりをキッチリと

「始めと終わりをキッチリと」、これは前社長(おふくろ)の言葉です。1日、15日、一週間、年末、年始等、節目なあたるところがあります。物事を行うにあたり、その節目をキッチリと行うということです。これはも何も、仕事に限らずです。

月の初め1日と15日は、私が朝礼で、社員のモチベーションアップを主題にお話したりしますが、今日の朝礼は、今後もっとも大切であろう会社として”戦略”をお話しました。私の方向性としては、すでにできあがっていたのですが、役員の間でもよく理解されてなかったので、喧々囂々の議論すえ、”戦略”としてを示しました。1年目、3年目、5年目、10年目と大まかな目標も設定しました。

細かい戦術は、これからですがニッチな桐たんすを、さらに皆さんに知っていだたけるように勤めます。その一日が今日でした。前進!!

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あめあめ ふれふれ かあさんが〜

aaa


あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

風を使うカイトボードやってますので、いまでは、いつ、どの場所で、どの方向から吹く、というのは、天気予報より当たるようになりましたが、うちの、おふくろも、おやじも、小学生の頃といわず、中高でも雨降っても一度も迎えに来たことはなかった。

傘をもって行く行かないは自己責任。また、、天気を予測するということは未来を予測することでもあり、それをリアルに体験せよ、という教えだったのかも知れません。


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18リッターの空き缶を蒸し器替わりに

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30〜40年ほど前は、こんなアルミの弁当箱がほとんどでしたよね。

DSC_0002当時、塗料の空き缶として18リッターのシンナー缶がたくさんででいたので、それを蒸し器替わりにしてました。缶の上を四角にくり抜き、そこに火の付いたかんなくずを投げ入れてシンナーを一瞬で飛ばすんです。

冬になると女子社員が昼前に、温めて欲しい人の弁当を集め、空き缶の底に水を張り、その上に、スノコを敷き、そしてアルミの弁当箱を重ね、蓋をしてストーブに乗せる。思い出深いのは、給食センターが持ってくる弁当箱。ステンレス製で丈夫でしたが、長年の繰り返しの使用で細かい凹みがついていたことが懐かしい。 温められた弁当のほっかほっかは、ほっとするひとときでもありました。


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人の本性というものは・・・

WS-03私が、高校生の時、自社工場でアルバイトしていた時に、震度4程度だったと思いますが、電柱がかなり揺れる地震がありました。私は外で板積みをしてましたので、刈り取られていた田んぼの方に避難しました。30人ほどいた、工場内からも社員が田んぼに飛び出してきました。

そんな社員の中に、入社は後発ですが、社員思いで、しかも愛社精神のかたまりのような方がいて、他の社員から一目置かれる人望が厚い人がいました。でも、地震となって慌てられたのか、1カ所に集められていた弁当の棚から、なぜか自分の弁当だけを持って、急いで田んぼに飛び出されたのです。

これには、他の社員はいっぺんに興ざめ。会社の中には弁当以外にも大切なものもあるのに弁当?。しかも、他の人の弁当も一諸に入っている棚から、自分の弁当だけ持ってこられたのには、皆さん責めはしなかったものの、社員思い?愛社精神?はどうにいったやらと陰口。ついには、自主退社されて行きました。

人の本性というものは、危機的になればなるほど現れるものだと知りました。


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追う気づかい

bbbb.jpg小学生の3年生頃だったと思いますが、男四兄弟の長男として外ではおとなしいものの、内では当然、弁慶(^_^)日課は毎日のように兄弟喧嘩。

ある日、仲裁に入った親父にアカンベェーしたら怒った親父が木刀(木工所でから長い棒はなんぼでもあります)で追っかけられたことがあります。当時の家は、道路から、100M入った入り組んだ奥にあり、道幅も2人がやっとすれ違うことができる程度。

親父に追われて逃げて角を曲がっても追われ、次の角を曲がってもさらに追われ、三つめの角でやっと諦めてくれホッと。

でも、これ先には、車の通る道路で、これ以上追うのは危ないと思ったのでしょう、と、そんな親心を小さいながらも感じていたことを思い出しました。

千畳敷でも足らん

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長男で生まれた私は、そうとうちょこまかしていたようで、ハイハイするようになったら頃は、こっちにいると思ったらあっち、あっちいると思ったらそっち、そっちと思ったらこっち、と、好奇心旺盛だったようで、「あんたは千畳敷でも足らんやった」と言われてました(^^;)

住み込み弟子からの難問

c-25.JPG私が小学生の頃、住み込みの弟子がいました。小さいながらも分かっていたことは、とても飲み込みが早く、仕事も早くてきれい、と、私ら羨望のあんちゃんでした。

とあるひ、クイズを出されました。左の図のように、 1.5 メートルくらいの紐を2本を、一回交差させて、二人がそれぞれ手首を縛り、紐をほどくことなく、からんでいるのをはずすというもの。私にとっては、人生最初の難問(^^;)

男兄弟4人で、代わる代わる、輪っかを体に回したり、足の方からくぐらせたりと、大興奮でやったことを覚えてます。答えはすぐに教えてもらず、結局、1ヶ月近く、何度もああだこうだやって、なんとか回答を見つけた時には、分かった喜びよりも、楽しみがひとつ減った気がしました。

遠くに足で歩く


(上はイメージ写真です)

私は旅行があまり好きでない。
それはどうも、小学校の遠足あるように思う。

行き先も言われず出発〜〜。ダラダラダ。どこまで行くんだろ?ダラダラダラ。休憩〜〜。お菓子をかじる。どこまで行くんだろ?出発〜〜。ダラダラダ。

そして着いた先は、いつも遊んでいる場所。小学校からは10分。遠回りとして、遠回りして、遠回りして、遠回りして、2時間。遠足、、、、、確かに遠くに足で歩くと書いてある。間違いではない。

でも、遠足と聞くと楽しさよりも、またかよ〜、今度はどこ〜〜??って、モチベーションはダウンする。
だから旅行〜聞くと、イヤダな〜〜と思うようです。

道具もんには癖がある

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写真の機械は手押しカンナ盤といいます。面を削ったり、直角の材を作る時に使います。刃がむき出しで危険ですので、刃が見える部分は、丸い安全具(機械に貼り付いている円盤)を付けて使います。

入社して最初に手こずったのがこれです。板と板を接着する場合、接着面をこれで削る必要があったのです。ただ、削るといってもこれが微妙。材の真ん中が髪の毛の半分ほどに隙間を開けるのが理想。というのは、板を両面当てたときにその部分が吸い付くようになるのです。

機械の前後にあるハンドルを回して、台の高さを替え調整するのですが、これが難しい。特に写真左側の定盤の調整は、ハンドルを角度1度回したでけでも違ってくる。同じ方向に少し回しては遊びがあるので動かない、それで、一度反対に大きく回し、そしてまた逆回して調節する。

しかも、何度か調節して、これでいいと思ってやっていると、また微妙に違ってくる。その時、おやじから言われたのは「道具もんは癖がある」でした。

確かに、かんなでもノコギリでもノミでも、他の機械でも、どんなに教科書どうりに調整しても調整しきれない部分があります。ようするに道具の癖なのです。そこを知ると、こういう場合はこの対処、ああいう場合はこの対処と、ほんとに無意識のうちに、それをやっている自分がいました。"暗黙知"のようなものです。

「道具もんは癖がある」、これはPCとて同じです。

夏の思い出

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(イメージ写真です)

私が小学2~3年の頃だったかと思いますが、4人兄弟の中、長男の私と三男(現専務)は、佐世保だったか、川の近くの親戚に夏休み期間中、預けられてました。きれいなお姉様が2人おられ、毎日、座鏡の前でお化粧して出勤されてました。お話した記憶はあまりありません。

私らは、毎日、川に泳ぎが日課。上の写真はイメージですが、清流で岩場があり、深い冷たいで、ザブンと入ったら、即Uターン。帰ってお昼寝して、夏休みの友を書いていたように思います。

毎週一回の楽しみは"少年マガジン"を買いに行くことでした。自分の家では、ほとんど買ってもらってませんでしたから、これだけでも喜んでいたように思います。

毎日きれいな川で泳げる、週一回漫画の本買える、この2つだけでも夢のように生活。ホームシックはまったく、夏のバカンスを満喫していのです。

記憶の中にありますが、お魚のフライでしたが、まるで鶏肉のような食感でとてもおいしいものがありました。それを帰って両親に話しましたが、それがなんだったかはいまだに不明。また、なんで、私と三男が出されたのかも不明です。

危なかったキャンプの思い出

c-04.JPG中学生の頃と思いますが、うちではよく家族でキャンプに行ってました。でも、いちも快適とは限りません。いつも何かが起こります。命に関わる危機もありました。

写真左はイメージですが、沢はもっと深かったと思います。高千穂だったと思います。こんな側にテント張ったことがあります。

夜中に雨が、、、

翌朝早く、両親がここを出るといいます。朝ご飯前です。雨が降ってて、沢は濁流に、このままでは危険と思ったとようです。

急いでテントを片付けて、車を出したら(おふくろの運転)、車がぬかるんで、谷底に落ちる方向に、それでも、そこは家族みんなで車を押して離脱に成功。しかし、県道にでる間際でまたぬかるんで立ち往生。今度は押してもまったく動かず。雨は土砂降りに。いつ鉄砲水がくるか、濁流が襲ってくるかの状況。

いつも冷静なおふくろ、親父も、この時ばかりは慌ててました。なぜだか、命より車?と。

そんな時に助けてくれたのが、たまたま通りかかったコカコーラのお兄ちゃん達ふたり。ドシャブリの中、車を押してくれたのです。それでなんとか県道まででられました。車も家族も無事。この二人は、名前も付けずに立ち去って行きました。

家に帰ってから、おふくろ、なんとかお礼を言いたいと、コカコーラに電話して、当時、そこを通過した車両を聞き出してお礼を言ったそうです。

気・目・手

c-32s.jpg気・目・手とは、"気"をとどかせ、"目"をとどかせ、"手"をとどかせて、という前社長の言葉です。仕事とは、こういう姿勢で行うベシと言ってました。

桐たんすの見える部分だけでなく、抽斗の隅々、角面の一つ一つ、裏面、奥の奥まで、丁寧な仕事する。まさしく、、"気"をとどかせ、"目"をとどかせ、"手"をとどかせる。それが品質向上のキメテ(気・目・手)でもある。

最初にコカ・コーラを飲んだ感想

c-06.JPGそれは、小学6年生の時。コカ・コーラなるものが、地元にもやってきた。ビンのデザインからしてアメリカを感じた。うちにいた職人から、飲んだ感想を聞いたら、ガソリンのような味がしたとか。ガソリンの味?

しばらくして、私も両親とレストランで恐る恐る味わってみた。サイダーとも違う、ジュワーとした感じはあった。これがガソリンの味?

コーラーは缶よりビンの方が、コーラーらしいと思うのは、私の少年時代の影響かな。

日課は夕飯作り

573CD7C10E3ECCC98EC5802E29D5F8FD.jpg全国の小学校で広がっている子供が作る「お弁当の日」は素晴らしいと思う。何を作る?、誰に作る?を考え、材料を揃え。そして調理する。これだけでも教育効果があると思うが、"喜ばれる"経験は、さらに貴重と思う。

私は小学4~5年生頃だった思いますが、夕食を作るのが日課となってました。自営業でしたが、工場が2カ所も別にあったので、両親の帰りか遅い。腹は当然減る。だったら自分で作るろう、と必然だったのです。

ご飯を仕込んで、魚屋に行き魚を買い帰ってから、それを煮付けにする。他に、おかずを作ったように気もするが、あまり記憶にない。できたぞーーって、弟3人にも食べさせていた。両親が帰って来た日頃には満腹。

女子事務員は、いつも感心ね~とビックリ。両親もニコニコで褒めてくれた。でも、私はジッと腹減らして待っているよりはマシくらいにしか思ってなかったのは事実。

でも、両親の誕生日ともなると、力を入れ、ご馳走?を作り(卵焼き?)。ちゃぶ台にはテーブルクロスしてセッテング。ついでに玄関には花を飾りと、ちっょと豪勢に。当然両親はビックリする。へぇ~~と驚いてくれたりした。こういう時は、してやったりと思った(^_^)

そういう経験が、いまの私に蓄積されているように気がする。

英語が苦手な言い訳(^^;)

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大手の英会話教室が、また、破綻したと昨日ニュースで伝えていた。使わない英語より、使う日本語を大切にした方がいいかと思う。

ところで、高校2年頃だっと思うが、英語を覚えるのに佐世保育ちの両親が一致したのが、「佐世保の米軍基地内の店で一年でも働けば、バリバリ英語ができるようになる。いまからは、英語必要。卒業したら、しばらく行ったら」、と話をしてましたが、「でも、英語も使わないと、忘れるからな~~」と、これは、私も一致。ということで5分で結果がでました(^_^)

ところで、私の友人に英語が趣味の人がいます。彼の独身時代に部屋に行ったことがありますが、それゃ~もう英語オタクで。英語の本は勿論、英語放送、英語TV放送と、その徹底ぶりには驚いてしまった。それと彼が聖書のように持ち歩いていたのが、これまた、英和辞典。結婚した相手も、もちろん英語好き。納得でした。

先日は、海でカイトボード。ビーチで風待ちしていたら、外国人とおぼしき人から声かけられた。日本語で(^_^)大学の教授できているということでしたが、日本語ペラペラ。驚いたのは、私がここから1時間半ほど南から来ました、といったら、久留米?と聞かれた時はビックリでした。お互い愉快に、日本語でお喋りしました。

海外と取引する場合には、英語が必要となります。ただ、その場合はメールです。メールでくれば、翻訳ソフトで大まかなことは分かります。返信する場合も、例文が多々ありますから、それを使います。込み入った内容でなければ大まか通じているようです。

ともあれ、外国語の壁はインターネットの普及により、低くなってくると思います。まずは、母国語である日本語を私は大切にしたい。と、英語が苦手な言い訳タラタラでした


親戚??おとぎ話??

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月曜日のNHKの家族に乾杯で、つるべさんが、船着場に降りていくシーンがあります。写真を撮ってきましたが、ここら編です。 (GPS付にしてます)アーチ型の赤い橋がありますが、新田大橋といいます。その向こうの対岸に広~~いグランドがあってそこでカイトしてます(^_^)

あの放送みて思い出したことがあります。左の方にちょっと見えている、魚屋さんに入る所がありますが、小学生の頃、あそこらへんにお菓子屋さんがありました。

その頃の話ですが、友達が迷子になってたまたま入ったお店で事情を話していたら親戚と分かり、おかしも食べ放題、ご飯も食させてもらって、帰りにはお小遣いまでくれたと。地元の御曹司の息子とは知ってましたが、まるで、おとぎ話。

信じられん。夢じゃないの?そんな調子のいい話はあるハズがない。嘘だろう?、と何度もいいましたがマジ顔。連れて行くよって言われて、友達3~4人で、そのお宅にお邪魔したことがあります。通っている小学校からは4kmほど離れてました。小遣いまでくれなかったのですが、大歓迎された記憶はあります。

その後も何人かは行ったようですが、親戚ならまだしも、赤の他人ですから、さすがに悪い気がして、私は1回行っただけでした。

単純作業で世界地図を憶えてしまう

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今朝のニュースで、学校のゆとり教育見直しで、教科書が昨年のと比べて25%ページが増えたと伝えていた。私は内容を増やすのに賛成派です。小学校くらいでは、ほんとになんの意味も考えて無くでも、頭に入った経験があるのです。

それは、世界地図。

小学4年か5年生だった時と思いますが、授業で使うA2くらいの大きな世界地図を無くしてしまったのです。持っていかないと叱られると、同じサイズの模造紙に教科書にあった世界地図を全部写し書きしたのです。夏休みだったか、冬休みだったかと思いますが、けっこうな時間を費やしたと思います。(記憶が定かでない) ひたすらに、地形を描き、国名、地名を記入して行く単純作業。

しかし、この副産物はあとで思わぬ効果が。国名を言われると、それがどこにあるか、地名を言わたら、大まかここら辺と、分かるようになっていたのです。憶えようとする意識がなくて、頭にインプットされていたのです。

残念ながら年齢とともに、そういう能力はなくなってしまいましたが、10歳くらいまでは、なんの意味もなくても知識を詰め込むのには適しているんじゃないかと思うのです。

電気温風ヒーター

c-28a.jpg私が初給料で両親に買ってあげたものがあります。それは電気温風ヒーターです。スイッチで、800W、400W、送風と付いていた思いますが、昨今の用にセラミックでもなく赤外線でもなかったので、800Wでも1M以内でないとあまり暖かくはなりませんでした。ともあれ両親は喜んでくれました。

そんなご自慢の電気温風ヒーターで両親が失敗したことがあります。

銀行さんか、税務署さんか、ともあれ偉い方が寒い日来られた際、その電気温風ヒーターをONに。1M以内で。話もほどほど終わってから言われたそうです。「これ風しか来ないようですが、、、」。おふくろビックリ。なんとスイッチを送風にしてONにしてお客様に向けていたのでした。

お客様にたいへん失礼になったと、私が叱られてしまいました。 いまだに、「そりゃ~なかろもん。自分の失敗じゃろうもん」と思うのでした。

白木には手油が最適

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おやじの作品"笑い布袋"です。高さは17cm程度。

この作品が完成した時、私は、布袋さんといえば、袋と扇子を持ってニッコリでしょ。こんなに大笑いしている布袋さんはいねぇ~。と言ってました。でも、見る人がみると違うんですね~。

ほどなくして、80歳ほどのとある著名な画家の方がうちのギャラリィーに来られました。日頃ニコリともされない方が、これみて笑いが転げられました。

それと、大川でたいへん元気な家具屋の社長さん、アジアやヨーロッパで現地買い付けしてあって、家具にも彫刻にも凄く目が効く方、その方が、この作品に一目惚れ。これより大きなものがありましたが、そちらをどうしても譲ってくれと、お買い上げされていきました。

最近、私もこれを見て、人生の最後はこうありたいな~~と、しみじみと作品を眺めるのでした。

ところで、親父が言ってましたが、白木の場合、一番いいのが手の脂。なでなでしたくらいが丁度いい。毎日すればもっといい、と言ってました。確かに、ほどよい艶がでてきます。作品は眺めるだけでなく"手をかける"これが作品に、ほんとに磨きをかけるようです。

"かっちょ"??

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毎朝、社員と走るジョギングコース。といっても、往復で500m。でも20年ほどにはなります。

今朝走っていたら、スズメが、ドバーーーっと100羽ほど、羽音を立てて飛び去っていき、その瞬間に小学生の頃のことを思い出しました。

うちに、住み込みの職人がいたのですが、その人が、写真のような感じだったと思うのですが、溝に霞網を仕掛け、"かっちょ"という、鳥を取ってきて、タレ付の焼き鶏にしてくれたことがあります。いまの焼き鳥屋にあるスズメに似てたと思いますが、身が少なく、あまりおいしいもんではなかった記憶があります。

"かっちょ"が何であるか?、名前は方言か?、略名か?いまだに不明です。誰か知っていたら教えてm(__)m

雪道は怖い

c-29.JPG左はイメージ写真ですか、かれこれ30年ほど前ですが、大分市に配達に行く途中、こんな大雪に遭い、引き返したことがあります。

湯布院の先でしたが、桐たんすを積んでトラックで出かけたのですが、出かける時は雪がチラチラ。日田市を過ぎた当たりから薄っすら雪景色。湯布院近くになったら、トラックが道路をはみ出して落ちているのが数台。昨夜滑ったのかな?を横目に、先を急ぎました。

湯布院過ぎから急斜面になるのですが、ここから急に雪が多くなり、チェーン装着。これでスリップすることもない。大丈夫。

しかし、他の車がチェーンはめてないのでのノロノロ状態に。そして私のトラックは、カープで坂道でなったところでギブアップ。路面がアイスバーン状態でコチコチでチェーンが効かない。先にも行けず、戻るにも戻れない、立ち往生となってしまったのです。

まぁ、お天気にもなって来たことだし、お昼過ぎまで待てば、雪も解けてどうにかなるだろうと、車内にいたら、ジープで来られた自衛隊の方に、どうしますか?と言われましたので、反転して下りたいと伝えました。数人来ていただいて、コチコチの路面から脱出。そして反転して帰り道となりました。

雪ではどうにもならないと痛感しました。

あとで、その場所を通りましたが、あそこで待ってじっとしてて正解でした。雪道では路肩がよく分からなかったのですが、そこは、カードレールのない崖ップチ。あと10cm前に進んでいたら落ちていと思います。雪道は怖いです。

昨日今日と、九州では珍しい雪の中、大川新春展のご来場され方、心よりお礼申し上げます。

流木

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高さ90cmほどの流木。私が小学生の頃、おやじが川で拾ってきたもの。玄関の単なる置物になったり、ときには花器なったりとして、現在。

しかし、よくよく見ると、自然の美とはいえ、とても力強く美しい。彫刻家だったおやじが気に入ったハズだ。

当時の私の言い分「そんなの拾ってきてどうするの?」でした。

比翼鶴

captur-32.JPG"比翼鶴"という地元の酒です。これが亡おやじの好んだお酒。いまは上撰しかありませんが、親父が生きていたときは一級と二級があり、値段の安い二級の方を飲んでました。「一級と二級は味は同じ。税金の安かすか二級でヨカと」でした。

この酒、最近、酒屋さんでも見かけるところが少なくなってますが、幸いなことは、近所のスーパーにはいつも置いてあります。紙パック式があればいいと思うのですが、頑固に一升瓶のみ。おふくろも好きだったので、今日は二本買ってきて、仏壇に供えてあげました。

比翼鶴"は、日本酒度+1。軟水で造られたやわらかい酒。比翼鶴酒造の代表銘柄です。
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