とあるところから、桐のマウスパッドにイラストを焼き印して欲しいと依頼されました。
それで、いただいたイラストを焼き印やさんにみせたら、これは潰れてしまいますので簡略化しないとムリと言われてしまいました。でも、それはそこのロゴですから、簡略することはできません。それでレーザー加工を思い出し、FabLab Sagaさんで機材借りてやってきました。指導を受けながらでしたがバッチシ完成しました。
「おまえこれ習ってたら?将来うちでも使うかも知れないから」と、いまから38年前、当時16歳の私に、亡父が福岡のコンピュータ学院の看板みて言ったのでした。
正直いって、この"将来うちでも使うかも"、という言葉には驚きました、当時のコンピュータは、リースで当時月25万円。しかも、コンピュータ自身が熱を出すものだから、冷房のガンガン効いた部屋で専属が何人かいるというしろもの。零細企業が使えるなんて、夢また夢の世界でした。
でも、なんとな~く面白そうだったので、高校生時代に毎週日曜、その福岡のコンピュータ学院に2年ほど通いました。来ている人は、おじさんばかりで、16才なんて当然私一人。当時のの高校生とはかなり違う過ごし方したと思います。
大学級の数学をやる羽目にもあいましたが、なんとか卒業。でも、講義中心で、ほんもののコンピュータが使えたのは2年で2回。しかも、紙にプログラムを書いて、専属の方に渡すだけ。ラインプリンターといものが、ガチャガチャと文字を打ち出したらご正解という感じでした。
高校卒業して、数年経ってから、当時50万円の電卓式コンピュータを買ってもらいました。車はいらんケン、コンピュータ買ってと。しかも、これで統計して売上げの予測ができると両親をダマくらかして(^^;)でも、電卓。ステップ数250では、さすがにどうにもならず、サーマルプリンターも20桁の数字しか打たず、結局、たいして使わずお蔵入りしなりました。
それから数年経って、世の中にマイコンという文字が氾濫し始めました。マイコン???、パソコン???、コンピュータ???。よく分からず福岡のカホ無線に2度程セミナーを受けました。高校生くらいの奴が、カセットテープに録音??再生??しかも、脇目もふらずで、異様な雰囲気。う~~んワカラン。
それから、また、数年後。
そうか、あれは、コンピュータだ!パソコンだ!と分かった時には驚きました。モニターがあってキーボードがあって保存できるものができていたとは、ほんとに驚きました。驚愕した。私の習ったコンピュータは、専門のオペレータしか触れなかったのですから。
それが、自分の手で見てやれるのには驚き、ショックでした。高校生が使っていたのは、シャープのMZシリーズでした。
この時、NECには、PC8001がありましたが当時で、28万円くらいして、高値の花でした。昔のこともあり、両親にねだるにも、ねだられないのでした(^^;)
やっと買ったのは。PC6001です。発売前から予約しました。ほとんどの周辺機器も10万円程度でしたので、ボツボツと買い集め、ほとんど試しました。音声合成、フロッピーディスク、タッチパネル等々、驚くことばかりでした。
ソフトも驚きました。ベーシックでボツボツ試していたのですが、ショップでゲームソフトが発売されたということで買い求めました。3500円のアスキーのものでした。しかも3本も入ってました。ケースも立派でした。ハートとか、数字がペコペコでできてやっぱり作ったがましだったかな~~と思う程度かな、と思っていたら、これまたビックリ仰天、動くですね3Dで、しかも高速で。マシン語で書かれたいたもので、驚き桃の木、山椒の木でした。
フォートランを習っていたので、ベーシックのソフトを作るのは楽しかったです。大きいのは、財務会計ソフトを作りました。でも、誰でも、使えるソフトを目指し、エラーチェック部分をかなりやりましたので、いままでに書いたことない500行となりそれでも、一年経ってもエラーででる始末で、試算表どまりでした。
そうこうしていたら、フロッピー2ドライブのPC8801MR2がでました。やっと会社で購入してもらうことに。財務会計ソフトとワープロと表計算ソフトを一諸に購入。財務会計ソフトは2万円程度のもの、期待してなかったものの、こいつが凄かったです。私が1年かかってもできなかったものが実現していたのでした。ビックリ仰天。その後、ブログラムは作るより、プログラムを活用しようととを心に誓うのでした。
それ後はパソコンの歴史ともに進み、DOS→DOS/V→WINDOWS→インターネットとなり重宝にパソコンを使う毎日になったワケです。
私にとってパソコンはノミとカンナと同じで、道具でしかありません。